もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

成功体験が、自信に

幼い頃の母の厳しい叱責によって、何事にチャレンジするにも「怖さ」が勝ってしまって、結局すごく引っ込み思案な子ども時代を過ごしたこともずっと自分が意気地なしだからなのだと思っていました。

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社会人になってからも、母が「こうしろ」「それはダメ」と言うことに関しては私の気持ちも無視で「根性なし」「甘ったれるな」と怒鳴られ、無理をさせられ、その通りにできない自分は根性のないダメ人間なんだと信じて疑いませんでした。

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母と離れて、まずはやりたいと思ったことをやってみようと好き勝手に生きたつもりでしたが、いつでも頭の中には母の存在があって「自分軸で生きる」ことの本当の意味はわからないままでした。

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どことなくいつも『このままでは、いけない』と、自分を追い詰めているような感じがあって、ある時仕事に行くのが怖くなって泣きながら心療内科を受診しました。

 

その時に、やりたくないことはしない。と決めて、私は本当は何を思ってどうやって生きていきたいのか、本気で向き合ってみようと数ヵ月何をするでもなく毎日を過ごしました。

 

そうやって、徐々に自分自身の「純度」が上がると、不思議なことに私に不利益をもたらす友との縁も切れ身のまわりがクリーンになったというか、心地よく過ごせるようになりました。

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母と離れて約5年くらいかけて、私が行ったことや、起こった変化はこんな感じでした。

 

それと同時に『何か起きたって、どうにかなるのだ』という物理的な成功体験を感じることによって自分に自信を持ってもいいのだ、そんなに自分を追い詰めて生きなくてもいいのだということも、ふとわかるようになりました。

ここからが前回の続きです。

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物理的な成功体験については

 

実家にいた頃、出かける口実のために、辛すぎる毎日の現実逃避のために、某アイドルを追っかけ回していた時期がありました。

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その頃、今では考えられないくらいのハードスケジュールで動いていたことも多々あったし、色んな人との交流もあり(今も続いているかはともかく)結果あれが私にとって自信をつけられるきっかけになったのだろうな、と今になってわかった感じです。

 

1人で色んな場所に行ったり色々なことができるようになったりして、同じ趣味を持つ者同士なら『嫌われるかな』とか疑心暗鬼になることもなく素直に楽しいと思える話を遠慮せずにでき、いつも他人に対してバリアを張っているようなそんな人づきあいしかできなかった私にとってこれはすごく大きな自信に繋がりました。

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そして、目まぐるしいオタク活動の中で、失敗をしたことも何度もあって「ほどよい適当さ」を覚えたことも大きかったと思います。

 

予約していた新幹線の発車時刻に起きたり、開演時間を間違えていて到着する頃には公演が半分くらい終わってしまっていたり、そういう「もし母相手にやっていたらクソほど怒鳴られていただろうな」レベルの失敗をしても実際どうってことないのだということも身をもって学習しました。

 

本来ならばこういうことは多分、10代20代で経験することなのでしょう。

 

それでもいい歳になるまで失敗が怖かったのも事実で、何となくその性分がマシになってきたのはオタク活動を始めてからであることにも気がつきました。

当時は『細かいこと、気にしてられん!』みたいな感じでギリギリで動いていたし、そもそも好きなこと・自分のやりたいことだったから『嫌だな』とか思わずにできたのが大きかったかも知れません。

 

家を出て、他の毒親ブログ等で書かれているようなことが『こういうことだったのか』とわかるまで約5年かかりました。

 

私の場合はやりたいことをめいっぱいやることよりも、やらなくていいことをやらないことの方が心の回復には繋がったような気がします。

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そこは人それぞれだしこのブログが何の参考にもならないかも知れないけれど、よく毒親関係の書籍等で見かける「自分軸」とか、そういった類のことで私がこの数年感じたことや過程が、今回の記事にまとまっています。

 

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頑張れなかった理由

派遣ではありますが、久しぶりにフルタイムで働いています。

事務であれば特に業種にこだわりはなくて、今回初めて、教育関係の企業に採用されました。

 

コツコツ系の事務作業ばかりかと思っていたのですが、わりと子どもたちとの絡みも多く『この子たちは、これから明るい未来があるんだろうな…』と、若さに若干の嫉妬を覚えつつも、幼い頃の自分の気持ちと向き合ういい機会にもなっています。

 

これが、もしもう少し毒親問題を考え始めた最初の頃だと、耐えきれなくて辞めていたかも。

 

学生の頃の私は毎日学校に通うだけでもヘトヘトで、行事も楽しくないし

成績もいつも中の中くらいでしたが『まぁこんなもんでいいか』という感じで

習い事はしたことがあるけど、塾に行ったことも一度もありませんでした。

 

高校も「お金をかける訳にはいかない」とレベルを落とし、特に行きたくもなかった公立高校に行くことになりましたが(美術科の高校の推薦入試も受けたのですが、そこまでのセンスもなく、不合格に終わりすっかりやる気をなくした)

万事がこんな調子なので当時既に『ぱっとしない人生だよなぁw』という自覚もあったし、ぱっとしないのは、自分には頑張りが足りないからだなという自覚もありましたが

 

今思えば、これが後々大人になってから異様に「頑張れない自分を責め続けること」への始まりだったような気がします。

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頭ではわかってはいましたが、当時の私には「今以上頑張ること」を、できる気がしなかったのです。

 

幼い頃から学校が嫌いだったから、自分は勉強嫌いなんだと思っていたし中学くらいからはずっと自発的に何かを学ぼうとする姿勢のない自分は、怠慢なダメ人間なんだと思っていました。

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けれど、最近、色々学ぼうとしている子たちと触れ合っているうちに『私、別に何かを学ぶこと自体は、嫌いな訳ではなかったんだよな』と思うようになりました。

 

何かを学ぶことが嫌いだった訳ではなく、何かを学ぶことに付随するあれこれを " 間違えずに遂行する " ことができるか不安だっただけなのではないか?と思ったのです。

 

確かに推薦入試に落ちてやる気を相当なくしたのも事実なんですが 

それでも、私にも本気で学ぼうとする姿勢があったことも確かで

例えば、もう少し学力を上げる為に塾に通おうか?とか、絵の腕を上げる為に絵を習いに行こうか?と、確かに悩んだこともあったなぁと。

 

それでも私は、それらをやる勇気が、どうしても出なかったのです。

 

では、それはなぜか?と今回考えていてうまくできなかった時に親に怒られることが怖かったからというのが、一番の理由です。

 

例えば、何かあって授業に間に合わなかったらどうしよう。

忘れ物をしたら?先生がすごく怖かったら?…心配し始めるとキリがありません。

もし、自分に合わずに辞めたいとなった時に、母親に怒鳴られるのも、想像がつきます。

自分から言い出しておいて「嫌なら辞めなさい」なんて、あの母親が簡単に言うはずがない。

そうやって事あるごとに、また母親に怒られるネタが増えるかも知れない。

まさに当時の母は「触らぬ神に祟りなし」状態。

大人しく、最低限のことだけこなして、穏便に毎日を過ごすことが得策だと、幼いながらも思っていました。

 

それが、私が何か新しいことを始めることへの足かせになっていたことは、残念ながら否めません。

 

今思えば、授業に間に合わなくたって、忘れ物をしたって、どうにかなっていたんです。

辞めたければ、辞めればいいんです。

 

それくらいのことも『母が怖い』『母に怒られる』『母に怒鳴られる』ことが常に背後にあるから、気軽に『行ってみようかな』なんてことを、よほどのことがない限り言えなかった訳です。

 

今、子どものいる現場で働いていて思います。

時間に間に合わないだとか、忘れ物をしたとか、うっかりミスの多いこと。

でも、子どもなんてそれでいいんです。

もちろん、何度も同じ失敗をして、学習しないのはだめです。

けれど私の親はその程度の、子どものちょっとしたミスさえも許さない人間でしたから…

 

もし、私がもう少し学校とは別に、何かを習いに行ったりしてたとしても元々私はしっかりした子だったし(あの親に育てられたら嫌でもそうなるけど)そんなうっかりミスも、ほぼしていなかったと思います。

だからこそ、もう少し勇気を出してやってみればよかったのに…とも思うけど

でも、あの頃の自分には、母が怖すぎて無理だったよな…という当時の気持ちも痛いくらいわかる。

 

それでも、私は純粋無垢な頃の自分に『こんな大人になってしまってごめん』という気持ちでいっぱいで辛くなります。

時々、幼い頃の自分に謝ります。

 

こんな大人になってしまった事実は変えられないけれど、せめて必死で生きていた幼い頃の自分だけは、私がほめてあげようと思います。

 

私はずっと「どうにかなるさ」って言葉、嫌いでした。

だってうちではどうにかならないから。

 

それでも、実際『あ、どうにかなるんだ』という、体験を積み重ねることで

前に書いた、逆上がりができた瞬間のように、どうにかなることがわかるようになりました。

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逆上がりができるようになると『何でできなかったのかな?』なんて考えてもよくわからないのと同じで

今思えばあそこまで『どうにもならない』と自分を追い詰めていた自分が滑稽でもあるのですが。

 

では、その気持ちの変化をどうやって身につけて行ったかは、また書こうと思います。

 

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逆上がりみたいなもの

小さい頃、逆上がりの練習をしていてある日突然できるようになりました。

自転車も、ある時ふと、乗れるようになりました。

そういう「幼い頃になんとなくできるようになったこと」って、なぜできるようになったか?と考えても「何でだろ。何となく?」というのが多くないですか?

 

毒親育ちの心の回復とか外部との関わり合いも、何となく似ているな…と最近感じています。頭であれこれ考えるよりも、やってみて初めてわかってくるというか。

 

苦手だなと思う人とは、険悪になって別れたケースもあるけど、うまくフェードアウトさせることもできるようになり、周りの人が一緒に居て心地よい人ばかりになりつつあります。

これもなぜかな?と考えたけど、自分が毒に支配されている時は同じようなタイプを引き寄せる素質があったのかもしれません。

多少の、苦手だな…はあるにせよ、自分からそういう人を引き寄せて沼にはまるみたいなことは減ってきた気がします。

 

そういう時に、思い出すのが元親友のことです。

 

前回、できるだけ人を『嫌い』と思うことは最終手段にしたいと思って生きているけど、どうひいき目にみても挽回の余地がない人が何年かに1回現れる とKちゃんを例に書きましたが

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数年前に縁が切れた元親友も、その1人だったなと今になって思います。

あんなに私にプラスにならない人を親友と信じきっていた自分は、完全に毒にやられていた渦中にいたんだなと思います。

 

縁が切れたくだりは、下記に記しています。

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元親友は昔から「男性にチヤホヤされる」ことが生きがいみたいなところがあり、男性を何人もキープし不倫もしていました(彼女は当時未婚)

それに言及する気はなかったし『危険な目に遭わないようね』とだけ伝え、彼女の好きにすればいいと思っていました。

 

彼女が男の人とキャッキャする楽しさは私は理解はできませんでしたが『きっと彼女が男の人とキャッキャするのは、私がオタク活動たのしい!ってなるのと、同じようなものなのだろう』と解釈していました(人生の優先度とかモチベーションとしてという意味です)

 

ただ1つ気になっていたのが私といる時でも必ず彼女は携帯を片手に握りしめ、行動をしていました。「オトコ命!」なので、着信に気付かなかったとかはご法度らしく、遊ぶ時も常に携帯を片手に持っていました。

 

さすがにルールとして不可な時までではないにしろ、買い物をしててもテーマパークに行っても常に片手に携帯を持って行動していました。

正直『ずっと携帯握りしめてんの何とかならんかな』とは思ってはいましたが、注意まではしませんでした。そして、携帯を見られる状態になると一緒にいる私に何の断りもなく、いち早く男の人に返信をしていました。

私も私でオタク関係で連絡を急がなければいけない時もあるし、お互い様だと思うようにしていましたが、私は必ず断りを入れてから返信をするようにしていました。

それなのにですよ、彼女はそういう時明らかに機嫌が悪くなるのです。

 

彼女はこういう「自分はよくて、たりはだめ」みたいなことが年々酷くなり、さすがにこの子一体何様のつもり?と私も思い、発端は全く別件ですが喧嘩になったのだと思います。

⇩も、彼女の話です。

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彼女は、私が彼女以外のものに目を向けている時に機嫌を悪くすることも多く、彼女といる時にばったり私の友達に会って数分立ち話をしただけでむくれて(いますよね、こういう人)ひどい時には別れてすぐ、私の友達の容姿を貶したり悪口まで言う始末でした。

 

自分は好き勝手にやる割に、私が外部との接触をすると気に入らなかったよう。

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自分を蔑ろにされた気になって我慢ができない性分なのでしょうが、何で私がそのとばっちりを受けないといけないんだか…。

⇩の記事の、姉の知っているお店に母を連れて行った時とそっくり。

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前々から遊ぶ約束もしていて、約束の前日『明日〇時に家に行くね』と連絡し了解も得ていたのに、彼女が前日から男を家に泊めて結局私が到着する時間になっても男が帰ってないこともありました。

その時だって、追及も責めることも私はしませんでした。

最後に喧嘩になった時あまりにも「自分だけが我慢してる!」主張をするので、どの口が言ってんだ?と思い『私が泊まりに行くって言った前日から男の人家に泊めて、私が着いてもまだその人家にいたよね』『それ以外にもオトコ優先みたいなこと、散々してたけどそれで私が機嫌悪くしたことあった?』『失礼なこと私にもたくさんしてきたよ。でも私は怒らないで我慢してたよ』と、言わずには居られませんでした。

 

『自覚がないのかも知れないけど、いつでもそうやって「たりになら、まぁいっか」みたいなね。私の事を軽く見ている証拠じゃない?』と指摘すると全く筋の通らない言い訳をされて(これも母とそっくり)恐怖を覚えたので、関係を切った訳です。

 

都合よすぎ。何様のつもり?と(言ってはないけど)当時は私も怒り心頭でしたが、もしかしたら母と同じで、彼女自身も「相手に失礼なことをしている」「筋の通らないことを言っている」自覚すら、なかったのかもしれないです。

母もずっと私の提起する問題に「たりは何を言ってるの?」状態でしたから。

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長年彼女を許し続けてきた私も私ですが、最後の最後に『もうその手には乗らないぞ』と、許すのをやめた時の気持ちは、母に同じことを思い家を出た時の気持ちとそっくりでした。

 

今はここまで壮絶なバトルをしなくてもうまく距離を取れるようにはなっただけの話ですが、普通ならそこまでこじれないような事にも頭を悩ませないといけないくらい、人付き合いにおいてある種の欠陥が私にはあるのだと思います。

 

あの家であの母に育てられたから?と思う部分もあるけど、何とか日々自分に向き合い、嫌なことはここで吐き出し自分を肯定していくことで

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逆上がりが急にできた時のような感覚が増えてきたことも事実です。

そうやって、ひとつひとつ、できるようになればと思っています。

しんどいけどね。