もう理由なんかなくていいの

毒親との暮らし。離れるまでと離れてからのおはなし。

笑いに変えるしかなかった、という悲しみ

学生の頃から母が厳しすぎることが本当はすごく嫌でしたが、母が優しくなることなんて絶対にないし、自分は養われている立場ということもあって「ウチは親が厳しい」というのを、半分ネタにして暮らしていたみたいなところがありました。

母の厳しさは、もう言ってもどうにもならないから『うちのオカンめっちゃ怖いからなーww』と、面白おかしく表現することで『母が厳しすぎて嫌だ』という、自分の感情に、蓋をして生きてきました。

あの母親には、口でいくら言っても、どうにもならないですから…。

それを、小学生くらいの時から既に悟っていました。『このオカンの厳しさは、もう笑うしかないなw』みたいな、半分ヤケクソみたいな感じ。

 

初めて正社員として採用された職場でも、パワハラまがいの発言を平気で繰り返す常務(女性)が居て、最終的にその常務の発言のせいで心が折れて退職しましたが、入社当日からきつい事を言われ、先輩たちには「常務はあんな感じなの」「あまり気にしないで」等と声を掛けられた時は『え、あれがきついって?まだまだぬるいなwうちのオカンと比べたら屁みたいなもんww』と思って、聞き流していました。

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実際後にも先にもその常務以外に母よりきつい言動の女性などなかなかいなかったので、外で結構なことを言われても全部『オカンに比べたらこんなもんww』と思って流せていました。

 

母の厳しさや高圧的な態度は、加齢によって徐々に弱まるものだと思っていたし(ただ、娘がまだ幼い・若いから厳しいのだと信じていた)『時が来たら(私も母もいい歳になったら)、母もわかってくれる(そこまで、きつい言動は、なくなる)だろう』『もう少しの辛抱!』と思って生きていました。

 

しかし、結局母はいつまでも娘を1人の人間として尊重するということができず、高圧的な態度でコントロールし続け、ついに私の堪忍袋の緒が切れて家を出るところまで行かないと自分の言動がどれほど人を不快にさせているか、気付くことはありませんでした。

 

そして、母と暮らさなくなると、自分がいかに母のきつい物言いを基準に物事を考え、母の真似をして肩肘張って生きてきたかがわかるようになって、肩の力を抜いて人の優しさに触れることも覚えましたが、母のような「感情をむき出しにする女性」への耐性が、すっかりなくなってしまいました。

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最近では「不機嫌なおばさん」の顔色や声色には必要以上にドキドキしてしまうので(昔なら『オカンよりかはマシやなwwこのおばさんww』と笑い飛ばせていた)

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良かったのか悪かったのか…という感じですが。あのまま自分の感情に蓋をして生きてても遅かれ早かれ心は壊れていただろうから、早めに自分の本当の気持ちに気付いてよかったかな?と思うようにしています。

大体、母があんなでなかったらそんな「耐性」すら、身につける必要もなかったのですし。 

 

まだ、今より毒親問題を昇華できていなかった頃、私の友人が看護師の資格を取得し、ある病院で働き始めたのですが、その病院で理不尽に叱責されることが度々あったようです。

辞めたい…と普段あまり愚痴や泣き言を言わない友人が漏らしていたので、よっぽどだと思います。

 

しかしその友人は、朗らかな家庭に育った印象で物腰も柔らかい、毒親なんて無縁なんだろうな~みたいな子で(その子の家族にも会ったことがあります)確かに『理不尽だな』『心配だな』と思う心の片隅で『家でよっぽどきつく言われたことがないのだな』とも、私は思っていました。

 

考えてみると、私は昔からずっと、人が弱音を吐いたり泣き言を言ったりするのを聞いて、口では『大変やね』『それはひどいね』と言っていても、必ず心のどこかでそう思う癖がありました。

別に、親が厳しかったことでマウントを取りたい訳ではなく、そう言い聞かせることで自分を奮い立たせ、厳しく育てられた自分自身を肯定したかったのだと思います。

 

ずっと厳しい親に育てられたことがコンプレックスでしたが、それに従い、真面目に生きて来た自分を、そう思うことにより肯定したかったのです。

 

でないと、あれだけ理不尽に怒られ、怒鳴られても『母のために』と健気に生きてきた自分が報われない気がしたから。

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けれど、人と比べてどう、ではなく、そうやって生きてきた自分をただほめてあげる。労ってあげる。

それでいいのだなと思えるようになりました。

 

比較対象を探し、裏付けを取ってまで肯定しなくても、私は私のできることは十分やってきた、あんな変な母親のもとでよく頑張って生きて来た、とただ単純に思っても良いのだと。

 

これをお読み頂いていて、共感された方みんなそうです。

 

もちろん、私も聖人ではないので、他人の弱音や泣き言で『その程度で…』と思うこともあります。

姉と『え、ウチの母さんと比べたら屁みたいなものやんw』とか、話すこともあります。

ただ、そうやって姉と話すのは、あくまでも同じ親に育てられた者同士だからこそ、というのが大前提ですし、実際に相手に『その程度で…』とは、絶対に言わないことを心掛けています。

 

そういう伝わりづらいニュアンスに「わかるわかる」と言える場が、もっとできればいいなと思うし、このブログがその材料の1つになればいいなと思っています。

母はずっと子どものままなんだと思う②

母は元々、冗談が通じないタイプなので、母の口から「なんちゃって」みたいなオチのジョークも、ほとんど聞いた記憶はありません。

家族が何か面白いことを言っても母だけ意味がわかってないとか

本気でキレてるみたいなことも、昔からたまにありました。

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前に、こんなお母さんだったらよかったのに、と、この記事を書きましたが

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母もたまに冗談を言ったりすることはあったのですが、母のジョークには、茶目っ気がありませんでした

ただ娘をからかう・馬鹿にするみたいな感じにしか、私には思えませんでした。

 

だからでしょうか。今でも、未だに思い出しては胸糞悪くなることがあります。 

前回の記事

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の最後に書いた幼稚な母にされて嫌だったことを今日は書こうと思います。

 

 

私が3~4歳くらいの頃の話。

確かその時、家には母と2人、外は暗かったので夜のことでした。

 

私がトイレから戻ると、さっきまでリビングにいた母が居なくなっていました。

 

何度か母を呼びましたが、返事がありません。

2階も確認しましたが、居る気配もありません。

玄関から外に出たとしたら、トイレに居ても絶対に音と気配でわかるはずです。

 

だんだんと私も不安になって、もう1度トイレや洗面所・風呂場などを探し

さっき確認した1階の和室の前を通ろうとした瞬間、暗闇にかすかに人影が見えたと同時に「ここやで」と母の声がしました。

母は、私を驚かそうと真っ暗な和室の、タンスの影にずっと立って隠れていたのです(1回目に和室を見た時、私は母を見つけられなかった)

 

その瞬間こらえていた涙が出てきて私は大泣きしました。

『どっか行ったかと思った~』と泣きながら母に抱き着くと「冗談やん」と言われましたが

しばらく泣いていると冷たい声で「しつこい」「こんなことで泣かんでええねん」と怒り、私を引き離して、食事の支度か何かを始めました。

 

母が「ごめんごめん」とも確かに言ったと思うけど、私はあの時の母の態度を忘れてはいません。

 

時間にすれば2~3分のことだったのでしょうが、不安な気持ちの子どもにしたらものすごく長く感じたし

隠れていた時間が長すぎない?こんな小さい子に対して種明かしまでが長すぎない?私がオロオロしてるのを横目に、ず~っと暗闇に立ってたんだ…意地悪い…と

私は当時その年にして、思いました。

 

その上、私は『怖かった』『悲しかった』という、気持ちの処理ができないままに「しつこい」と怒られ、一方的に強制終了させられたのです。

 

これが3~4歳の子にやることでしょうか?

 

これくらいのいたずらなら、やる親もいると思うし、母としてもちょっとしたいたずらのつもりだったのでしょうが、私には悪意しか感じませんでした。

 

母の場合、やり方に問題があったと思うのです。

あの時の母の態度が、完全に娘をバカにしているみたいな感じにしか見えなかったからだと思います。

 

その一件から私は、母はいつかまた、ああやって人を小馬鹿にするようなことをやるのだろうなという気持ちがずっと抜けませんでした。

 

母のこの、人を小馬鹿にするような態度こそが、娘に対する本心だと思います。

ずっと親が偉い・親が上、娘は下・言う事聞いて当然!と思いながら生きていた証拠ではないでしょうか。

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母の態度を見ていると、大泣きする我が子に「しまった」「やりすぎたな」なんて、ほとんど感じてなかったと思います。

そんな風に扱われてきた娘が、母に優しくなんて、するわけないでしょw

 

私は末っ子なので、昔から家族に「イジられる」みたいなこともたくさん言われたし、されてきました。

私が幼い頃に家族にイジられ、時々本気でふくれたりすると、姉や父は「うそうそ、ごめんね」「ほら、機嫌なおして♪」みたいなことを言ってくれましたが

「しつこい」「いい加減にせぇ」と私に怒って終わらせるのはいつも母でした。

 

家族発信で始まったことなのに、なぜか最後に私が「しつこい」と怒られることに納得が行かないから、末っ子扱いでイジられる時間が私は嫌いでした。

愛があって、可愛がってくれていたのだなと今はわかりますが、あくまでもそれは父と姉にしか感じません。

 

だから早く、姉や母と肩を並べて同等に話せるように(イジられないように)しっかりしないと…と、幼い頃ずっと思っていました。 

 

私もかつて同じ気持ちを姪に対して感じた経験があるので何となく思うのですが

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多分母は末っ子の私にスポットライトが当たり、可愛がられることも気に入らなかったんじゃないかな。

 

「娘に早く大人になってほしかった」なんて、娘の前で口にするくらいですから。

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このセリフ、当時は何気なく聞いていましたが、暗に「子どもらしくいてはいけない」と言われているようなものだったし

私も姉もまんまとその母のセリフに引っかかり、子どもらしくない子ども時代を過ごして来ました(精神的に)

結局あの家で、一番精神的に未熟で手のかかる子どもだったのが、母だったということだと思います。

 

母の犯した、いつまで経っても自分の未熟な「子どもの部分」と向き合わないまま

そのお世話役を娘たちにやらせたという罪は、許せることではありません。

そのせいで、私たちが未だにこんなに生きづらさに苦しむ原因になっているのだと思うからです。

 

コメント・スターありがとうございます😍

コメントなどについては、こちらにまとめています。

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母はずっと子どものままなんだと思う

母の承認欲求の異常さについては前にも書きました。

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こういうことが、娘たちへの価値観の押し付け・「これくらいしているんだから、これくらい許せ」という自分勝手な裁量・家族へのワガママ放題等

昔から母に抱いていた嫌な部分の原因になっているのではないか?ということをブログで紐解いて来ました。

 

さらに母がそうなったのは、母自身も厳しく、また寂しい環境で育てられ、親に存分に甘えられなかった・ワガママを言えなかったことがルーツではないか?と考察してきました。

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これは簡単に言えば、母は未だに大人になりきれず、精神的に子どものままということなのだと思います。

 

思い出すと、両親がいつも言い争う(母が一方的にキレてるだけだけど)喧嘩も、幼稚で低レベルでした。

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そういう風に思えるようになると、昔からの母の不可解な言動にも合点がいくようになりました(許したということではありません)

 

母のことは、単なる世間知らずなんだろうなと思って片付けていたけど

一体何を考えて生きてきたのだろう?と心底疑問に思う時もあります。

下の記事では、よほど食事とお金のことしか考えていなかったのだろうという事も書きました。

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また、母は昔から時々、普段の厳しさからは想像できないくらい、幼稚なことを言ったりやったりすることがありました。

 

昔、母が40代後半くらいの頃にある葬儀に参加して、初めて骨上げに参加したそうです。

その時に骨だけになった故人の姿を「え~…?何これぇ?」と、受け入れることができなかった!ショックで、数分呆然としてしまったと、自分で言っていました。

それが「思い入れのある人だったから」ではなく「骨になったのが、怖かった・びっくりした」みたいなニュアンスで

私も姉も、言っている意味がわからなかったのですが

母「人間がな、骨になるなんて、思わんやん」

…いい歳して、こういう少女のような事を急に言い出す時があるのです。

 

 

母は時折幼児のようなことをやることもあり、私が成人してからはその傾向がとくに見られました。

 

まだ私が実家にいたころ、朝の洗顔の時間が母とかぶった時があり

母が顔を洗って顔を拭くのを見ていると、力まかせにゴシゴシ拭いていたので

『そんなゴシゴシ拭いたら皮膚に悪いで』『優しく押さえるみたいに拭いた方がええで』と、助言した時があります。

 

すると母は、わざともう一度顔をゴシゴシ拭き始め『いやだから(力)強い強い!』とツッコミを入れると、母は心底嬉しそうに「早くツッコめ」といわんばかりに、何度もそれをやるのです。

4~5歳児と、一緒ですよね…。

 

当時私は、母が機嫌が悪くさえならなければもう何でもいいやと思って暮らしていたので

そういう、今ならもう絶対に付き合いたくないような、母のしょーもないジョークにも、熱心に付き合ってあげていたように思います。

毒親の相手をするのは「子守りみたいなもの」という言葉がぴったりです)

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それが、当時『私って、帰ってきても母に気を遣って神経すり減らして、家でもお勤めしてるみたい』と感じていた原因でしょう。

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他にももう忘れたけど、母は「見て!こんなんやってしまうねん(ツッコミ待ち)」みたいな言動が多かったな、と。

 

私が子どもの頃は、良かれと思って助言をしても機嫌が悪いと「親に向かって何や!」とか、言い返されていましたが

私が大人になると、そうやって反論してキレる回数が減って、かまってほしそうにする言動が多く見られました。

 

それでも虫の居所が悪いと、ほっといてくれ!とか反論して

無視したり、自分の気の済むまで相手をやり込めていたので

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母へのアドバイスとかってほんとに、ドラマで見る時限爆弾の赤の線切るか、青の線切るか?みたいなものなんですよね。

母の虫の居所次第で結果が変わるので、その度に今の母にとっての、ベストな対応をいつも頭をフル回転させて考えていました(それでも切る方を間違えて、爆発されますが)

そりゃ、神経も疲弊する訳です。

 

もう少し母が昔からずっと、可愛らしい態度で人と接することのできる人間であれば

「ちょっとアホだけど、お茶目なお母さん」として、私たちも母を慕っていたかも知れないですね。

それくらい、怒った時・キレた時のヤ〇ザみたいな対応にも、大いに問題があったということです。

 

こんな風に、大人になりきれない幼稚な母にされて、すごく嫌だったことがまだあるので、また書きます。

 

コメント・スターありがとうございます。

コメント等についてはこちらにまとめています。

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